追悼札 2011年4月号の6 |
追悼札 一丁札。 右側の神田川徳蔵。 お相撲さんに、このお名前をお見受けするが。 詳しい事は判らぬ。 昭和4(1929)年7月。 両国回向院にて執り行われた納札故人の大法要に参加されている。 左側、東都 字母宗。 字母なんて言われても、判る奴は判るけど。 仲間内では普段使う言葉じゃあねえなあ。 このかたも詳しい事は判らぬが。 字母とつくからには、なんやら、書の趣味人か。 研究家かも知れぬ。 このかたも上記の大法要に参加されている。 まだ2月の寒い頃。 橋の上から運河を眺めていたら。 ボートの横の海中に、人らしきものが浮いているのが見えた。 む、なんか事件かな。 と、思って暫く眺めていたら、何のこたあねえ。 ボートが動き出したら水上スキーの練習だった。 スキーのお手並みも含めて。 3月の初旬に貼り込むつもりで。 少し文章も書いておいたが、あの地震と津波だ。 なんやら意味もなく気がひけて、時期を逸したが。 と、云う写真です。 都知事選にゃあ参ったなあ。 対立候補の、どいつもこいつも、何を考えてんだか。 石原の四選阻止。 78歳で。 お前、期末で、82歳だぞ、大丈夫かあ?。 お前のやってきたのは。 以前の知事が、やりたくても反対されて出来なかった事の。 パクリじゃあねえのかあ?。 さも自分の手柄のようにしてるけど。 噂では。 月の半分も出庁してねえってんじゃあねえかあ?。 石原銀行に、またぞろ税金突っ込む気じゃあねえだろうなあ。 銀座のホステスに作らせた子供はどうなったんだあ?。 ああ、これは選挙に関係ねえか。 なんぞの主張を。 声高に訴える対立候補は、いなかった気がするが。 どうなんだい?。 俺も夕方四時ごろ投票へ行った。 昼の一時ごろ通りかかった時。 入り口に、どっかの会の姐さんが一人居てなあ。 内輪の名簿を持って。 投票に来た奴と、未だの奴をチェックしてた。 四時ごろ行った時にも未だ居たよ。 この異様さから。 今回は何がなんでも。 石原に知事をさせねば、困る事が有るんだよなあ。 と、気が付いた。 石原から他の人に代わると困る事。 これは何かと思ったら。 そうだ石原銀行。石原銀行なんだ。 あたらしい別の知事が当選して。 やる気を出して。 石原銀行が出した巨額融資の焦げ付きや。 巷で噂の、部内の融資紹介者と融資を受けた奴ら。 これにメスが入ると。 困る奴が出てくるんだろうなと思った。 (銀行の融資担当者、紹介、仲介者の事は2009年5月号の27にチョビっと書いたが) で、何がなんでも石原を出馬させ。 当選させねばならないのだ。 石原のほうとしても。 この前、400億円税金から出してくれと。 泣いて頼んだ借りもあるしな。 前のように融資を意図的に減らして、貸し倒れ引当金を取り崩し。 さも利益が出たようになんてペテンは、絶対ゆるさねえからなあ。 団塊世代以降の都民は。 他のアホ連中と違って、そんな甘かあねえぞ。 でも、まだ何か有る様な気がするがなあ。 さっそく宮越商事の株が動いたらしいぞお。 一つ便乗でもするか。 それより石原あ。 なんで国会議員を辞めたんだったっけえ?。 ●全ての写真、文章の転載を禁じます。 |
by kiwasiti
| 2011-04-16 22:18
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