踊見立撰納札その6 2016年10月号の2 |
踊見立撰納札 二丁札。 色々雑事がありまして、やっとこ、今月の二番目が入る。 踊りは山姥。 文身で山姥と金太郎っていえば、秀松さんの奥さん。と聞くが。 残念ながら拝見したことはない。 暫く前。 義理の姉さまの遺品整理(と、いっても、そのほとんどは捨てまくりだが)。 ある日、捨てる途中の紙袋の中から。 短刀袋と銃砲刀剣登録証(昭和26年新潟で登録)が出てきた。 本物が出てこなきゃあいいなあ。って思ってたら。 どっこい、そうはイカのキンタマ、それから暫くして。 片付け中に今度は本物が出てきちまった。 一応、すぐかみさんに心当たりを聞いたが。 父ちゃんが持ってた話は聞いてないねえ。 誰か身内から預って、そのままになっちまってるのかなあ?。 まあほっぽっとく訳にもいかねえんで。 所轄の警察へ相談に行ったよ。 登録証が付いてるんで、発見届けでもないし。 これは新潟県の教育委員会と相談しなさいと指示を貰い。 以後、9月初旬までかかって片が付いた。 現物確認審査申し立て、鑑定申請審査、鑑定、登録証再交付申請、所有者変更届け。 登録証再交付等々を、新潟県教育庁の担当のかたの指導もあり、何とか終わったよ。 諸々のご指導は感謝、感謝だ。 短刀の鑑定は都庁で行われたが、過日書いた様に。 行きは土砂降り帰りはドピーカン、体調すっり悪くした話は、そのとおりだ。 ちなみに短刀の銘文は和泉守兼定 於越後国新発田造だ。 いつまでも俺が持ってるのも、なんだしなあ。 と、いっても昭和30年代の後半は在日米軍のドミトリーに住んでたんだが。 前に住んでた奴が置いてったドスが。 ひと部屋に一振りどころか。 一人に2個、3個は天井裏やデスクに無造作に突っ込んであり。 生徒時代も銃剣は、しょっちゅう手入れしてたし。 刃物は見慣れてるし。 今回もたいしたものじゃあなかったら鉛筆削りにでも使おうかと思ってた。 和泉守じゃあそうもいかねえなあ。遺品整理はまだまだ続く。 さてお馴染み、アッゲスなチャン太子党植民地、中国のネタ。 だいぶ前から、あそこはゾンビ企業、こちらはゾンビ企業と騒がれてたが。 最近は、新聞なんぞでも、ゾンビとゾンビがくっ付いて、キメラ、キメラの大合唱だ。 キメラにキメタはいいけど、株なんぞの上場はどうすんだい?。 決算報告書は今でも、でっち上げらしいが、これからどうすんだい?。 キメラで共産党蓄財団はどうゆうふうに蓄財するんだい?。 きんぺい君は早々と決めたみたいだがなあ。 五毛党なにしてんだガンバレよ。 もう一つ太子党植民地の噂。 IMFのオバサンが。 支那に対し、なんだか知らんが。 通貨の元について再三警告してるらしい。 だいぶ前、支那人を副理事にしろと。 IMFに、ものすごいサイバー攻撃があったのは記憶に新しいが。 攻撃に負けて副理事かなんかにしちゃったよなあ。 そのあと。 おいら達の仲間内ではIMFの幹部に相当な、まいないが渡ったなあと。 邪推したもんだ。 若しマイナイがわたってたら、警告なんぞ聞く訳ねえ。 だが、だいぶ前から、幹部どもの身辺調査はやってるらしい噂が。 これから、面白いことになるってんだが。本当かい?。 いつもこの時期になると書いてるが。 チキトゥリー(トリック、オワ、トリートの早口発音)の季節になったなあ。 1945年の敗戦後。 東京都内も。 まだまだ、たくさんの土地建物が米軍に接収されてた1960年頃。 渋谷駅から7~800メートルはなれた明治神宮に隣接して。 在日米軍の住宅地ワシントンハイツがあった。 夕方になると、米国人のガキ共が。 シーツやテーブルクロス、包帯なんぞをつかって仮装。 チキトゥリー、チキトゥリーと。 各ハウスをまわってキャンデーなんぞをせしめてた。 あの頃は、まだ日本も経済的にも文化的にも貧しく。 バレンタインもハローウィンも知ってる奴らはすくなかったよ。 米軍の住宅施設回りに住んでた人々と働いてた連中は知ってたが。 さほど興味は無かった。 アメリカの収穫祭だろう?。 日本にも田舎に行けば有らあなってな具合でな。 話は変るが。 この前、電チャリで走ってたら、ナンバープレートがおっこってた。 こういうのは、どうしたら良いのかなあ?。 と、思って一日経ったら。 なくなってた。 チョット前、リハビリ先の待合室で。 相客?が、ボブ・ディランの、青臭いかっこいい話を投げてきたんで。 オッサン一言。 所詮、商業フォークだよ。 パリッと決め込んでニコニコと出てくるから心配しなさんな。 と、いったら不服そうな顔してた。オッサンの勝ちい。 ●全ての写真、文章の転載を禁じます。 |
by kiwasiti
| 2016-10-30 02:55
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