踊見立撰納札その20 2017年9月号の1 |
踊見立撰納札その20。関岡扇令の禮札ご存知、助六二丁札にて。本シリーズは、オオラスとなる。さて、最近の催主近況は、いつもと変らず。 ほぼ一日置きの腰痛リハビリと野暮用の繰り返しで。 けっこう疲れてる。 おまけに、ちっとも儲からねえ株なんぞを。 難しい顔してやってると余計疲れるよ。 今回の歌舞伎座公演は主演者共々色々話題になって。 河岸の御連中の旦那芸、河東節を初めて知った人もいるだろう。 で、少しばかり横道にずれた話でも書くか。 ネタ元は以前にも書いてるが竹内道敬先生著の。 河東節250年からだ。 先生の本の最後の方に。 小文次は父と不和になったままで、秀次郎の最後は。 笹川臨風がみたということである。 彼は父の没後、十二代目家元として披露会を催し、また父の一周忌には。 追善浄瑠璃、おぼろ夜、を作曲したりしたが種々の理由があって。 東京では次第に師匠活動をせぬようになり。 大阪、名古屋方面に弟子が多かったということであった。 ここからが横道で。 猛二郎の女房、愛さん(キ○七の妹)は。 旦那、猛二郎と一緒に関西には行かなかった。 で、当然といえば当然だが。 関西妻と猛二郎の間に女の子供が二人もできちまった。 この二人の子供の消息が誰に聞いても判らない。 歌舞伎座で助六がかかると。 二人の女の子は、どうしたんだろうね?。 と、言うのが数十年来続く、当家の決まった挨拶である。 最近、暫くぶりにあちこち通りかかると。 アレッと思うときがある。 世の中変るのが本当に早い。 ここは昔、ミネベアではなくて。新中央工業ったかなあ。 自衛隊や警察の拳銃をつくっていて、有名なとこだった。 興味のあるかたはググって沿革史でも見れば判る。 これで、野田佳彦も、やっと動きやすくなった。 日本は二大政党が理想。 と、ずっと主張してきた、ぶれない政治家。 あの石原も出来なかった尖閣を正式に日本領土にして。 支那に極悪人呼ばわりされた痛快な政治家。 選挙では見事な敗戦を経験し。 前科一犯と揶揄された政治家。 もう怖いものはねえでしょう。 小池、俺の主義主張をパクルんじゃあねえ。 が、第一声でしょう。 今、突然に思い出したが。 だいぶ前、ある自民党の代議士に。 毎日、毎日、お手製の弁当を差し入れてた女の議員がいて。 貰うほうも、いい加減辟易しちまい。 目の前にいる秘書に、お前食えってんで。 毎日食わせるもんだから。 ブクブク太っちまって。 毎日毎日が拷問で、まあ大変。 ってえ話が笑い話であったが。 あれは誰だったんだあ?。 タイゾウお前かあ。?。 最後になるが。 踊りの演目を、チェックしてくれた壽流の師匠御三方に感謝する。 まあ、一人は実弟(兵五)だがな。 おいらの家の近くに花川流の師匠も居たんだが。 寄ってみたら何処かに引っ越してたよ。 ●全ての写真、文章の転載を禁じます。 植村キ〇七及び催主の略歴は、2007年の4月号に記載してあります。 ●追記 翌日、新中央工業の事を調べたら。 2012年6月号の4 入梅で小休止の記事で少し書いてあった。 暇な時にでも見て頂戴。 ついでと言っちゃあなんだが。 入梅で小休止その2 2012年6月号の5も読んどいてくれ。 当時はオイラも国の事(消費税アップ)を真剣に考えてたんだよ。 いま一度。 野田佳彦に総理をやらせたいと思ってるのは。 俺だけじゃあねえだろう。 |
by kiwasiti
| 2017-09-30 01:06
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