北商と数の子の話 2009年10月号の8 |
今回は、北商と数の子倒産の話だ。 数の子好きの、数の子父さんの話じゃあねえ象。 昔と云っても、30年ぐらい前になる。 東品川の八潮橋交差点の脇に、北商、と云う会社が有った。 今は茶色のマンションが建っているよ。 朝早くに通りかかったら、北商の対面の道路に、黒い車がズラリと並んで止まっていた。 殆んどの車は、新聞社やテレビ局の社旗を付けていたよ。 何か有ったの?。 と聞いたら、北商が数の子を買いすぎて潰れた、と、話してくれた。 数の子で500億円の倒産とは、随分と贅沢な潰れ方だよ。 アメリカでも、銀のインゴットを買いすぎて、破産した兄弟が居たよなあ。 北海道の稚内でも、イカを買いすぎて、潰れた水産会社も有った。 相場の世界は厳しい、俺も、大小、沢山の倒産を見てきたよ。 昔、赤いダイヤという小豆相場のドラマがあった。 ドラマのなかのセリフで、「よし子はん」と云うセリフは、身内ないでは流行ったよ。 さて、この会社が、三菱商事の系列(ダミー)だ、と、云うのは聞いていた。 だが倒産ぐらいでこんなに大騒ぎにはならねえだろう。 と、思っていたら、なんと社長が15億円ぐらいの金を持って何処かに雲隠れしたらしい。 みんなで騒ぐ訳だよ、と、納得。 社長は、倒産前、既に海外に逃げちゃったというのは、あとで新聞で知った。 報道陣は2、3日で来なくなったが、今度は黒塗りの車が毎日、数台来るようになった。 債権者だったんだろうなあ、目付きの鋭い連中だったよ。 結局いつも損するのは、従業員だ。 すぐ組合を組織したのか会社の前をロックアウトして、毎日20人近くの人たちが出勤してきていた。 ドラム缶で焚き火をしながら、暖をとっていたのを見た記憶がある。 今思うと、多分、法律上会社の中には、入れなかったんじゃあないかあ?。 それ以後の事は判らぬが、従業員の人たちは、ちゃんと補償してもらったのかなあ。 後に社長は帰国したとき逮捕された、と、新聞で見た。 正確を期する為に新聞の縮尺版は見て来た象。 昭和55年1月30日あたりに出ていた。 500億と社長の雲隠れ以外は、俺が実際に見た話だ。 俺の独り言。 あの持ち出した15億ぐらいの金は、倒産の迷惑料や取引書類、融資書類等々の、処分料だったのかなあ。 俺が社長だったら、ムショ行く覚悟で当然貰う。 2014年7月20日にダチから突然。 おい、北商の社長が会社からズラかった時。 裏の入り口に、ボストンバックに入れて置き忘れたゼニ。 7000万有ったよなあ。 あれ、どうしたんだったっけ?。 あー、七千万なあ、古い話で忘れてたよ。 社員の給料分にってんで、置いてったんじやあねえか。 みんな給料貰ってねえとしたら、何処へ行っちまったんだろうな。 休み明けにでも近所の物知りに聞いてみるか。 それよりよう。 まん前のニッサン、あそこの土地、もうどっかに売ったんだって?。 長谷工だろう?。 でも、ビル建っても整備工場は城南へ行くけど。 ショールームはそのままらしいから、かわんねえよ。 フーン、そんな噂って何処から出るんだろうなあ。 かなり進んでるのに、オラッチが知らねえだけかい?。 ●全ての写真、文章の転載を禁じます。 |
by kiwasiti
| 2009-10-11 14:11
|
<< 今年のお会式 2009年10月号の9 | 名所名物所自慢 2009年10... >> |