関口紺三の一丁札 2010年3月号の4 |
よ組 紺三関口とある。 この札は、関口さんが紺三の頭だった頃の納札だ。 清水組とあるは、今の清水建設のことだ。 関口さんの頃の紺三札は、まだ有ったと思った。 出てきたら、又、此処に貼りこむことにする。 関心のある方は時々のぞいて下さい。 俺のブログは俺用と思っているんで。 編集で、どんどん変わっているページもある。 このあと紺三は。 佐野周二(関口正三郎)、関口宏、関口智宏と続く筈だったのだが。 訳あって西出さんに引き継がれたと聞いた。 この経緯については、以前。 西出さんが何方かの対談で、話されていたのを読んだ記憶もある。 が、知ったかオヤジはやめよう。 と、云うのも西出さんと関口さんの紺三題名札を。 区別できないかたもいるらしい。 と、聞くが俺もその一人。 と、思われるのも困る。 なんだいこりゃあ。 時々納札を眺めながら、この納札は西出さんのかなあ?。 関口さんのかなあ?と、迷うことが多いよ。 よって今後は此処に。 御両者の札が混ざることになると思うが、ご勘弁を。 よ組 古ん三とある。 が、関口さんか西出さんか?。 市子さんに聞いてみないと判らぬが、この市子さんがどなたか判らぬ。 まあ、いいかあ。 さあ、どちらの紺三氏でしょうか? 俺てきには関口さんと思うが。 昔は、紺三の題名を義理で入れたのかな。 と、思っていた納札で、未だに判らぬ次第。 貼り込み帖の、真ん中あたりに貼りこんである納札は。 写真にして切り出すのは大変だよ。 すぐ横は和綴じの糸だ。 俺も和綴じぐらいは出来るが、解かないでやることにした。 こうなってくると写真なんぞの修整ソフトが駆使できる奴が、羨ましい。 今後も、この手の奴は多少見てくれは悪くなる。 が、まっ、いいか。 うーん。 関口さんと思うが。 これも関口さんと思うがなあ。 三紋龍で関口紺三。 西出さん親子の納札で、取りあえず終りとする。 編集している時に気が付いたんだが、西出さんの左隣りにあったのは、いせ万だった。 文身の木鼠怪傳より西出紺三。 二世と入れたのは、関口さんに義理立てたものか。 義理だてたとしたら粋だよなあ。 いせ万の1丁は又の機会、気が向いたときに。 ここ数日、雨模様。 で、思い出したが。 何処とは言わんが、昔、住んでた所の近くに小さい商店街があった。 中に、今で云うドラッグストアーもどきの小さい店が有ったよ。 雨が降ると、客足が途絶える。 で、ガラスのドアーの所に雨天割引の看板が掛かる。 商品が、全部割引になる訳じゃあねえ。 が、なぜかキッチンタオルやトイレットペーパー等。 紙製品を大幅に割引で買えたよ。 雨が降ると必ず行ったなあ。 あの店、まだ頑張ってるかあ?。 買い物の途中でやんだらどうするってかあ?。 そんな時に行ったこたあ無えんで判らん。 ●全ての写真、文章の転載を禁じます。 |
by kiwasiti
| 2010-03-07 14:05
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