宮鍵講由来と宮鍵の手ぬぐい |
本ブログの中で宮鍵という文字がよく出てくる。 で、宮鍵について書いておく。 出典は昭和六(1931)年の神田明神誌です。 神社講社由来。「原文のまま、一部当用漢字に変更してあります」 神田明神社の神事に奉仕するは無論神職であるが、其神事に関して護衛を勤め、手伝を為す為、二つの講社が古から組織されてある。 即ち宮鍵講(みやかぎこう)と御防講(おふせぎこう)とである。 宮鍵講は、明神社に古い関係を有するもので、明神社が柴崎村から、駿河台を経て湯島台へ遷座されし当時、神人と称して神官以外神事に奉仕せる者三人あった。 神人が祭時其他の事で神事を手伝って居たが、湯島台今の聖堂のある所が、豊島町と称し、附木を製造する場所でソコの商人が、神人の下に立って祭時其他に関して神事を手伝っていた。 所謂附木棚と称して神事の取扱に関係した。 然るに当時上野に在った聖堂が、豊島町の所に引移って、其替地として豊島町は現在の所に移転することになつた。 爾来豊島町にあった附木棚は引続き明神の祭時其他に就いて頗る尽力された。 尚両国十ヶ町組と一緒になり附木棚十ヶ町組として隠然勢力を擁して、名誉ある明神の護衛団体として神事に奉仕し祭時に関する器具調度は一切同団体が取扱って、明治維新後宮鍵講と称して今尚神社の神事には、同講が名誉ある奉仕を承って居る。 この後は御防講の由来へ続く。 ●全ての写真、文章の転載を禁じます。 |
by kiwasiti
| 2007-09-14 11:55
|
<< 御防講由来と神田市場の手ぬぐい | 題名額 蓮玉庵さんへ 2007... >> |